こんにちは、MASAKIです。
朝からちょっと考えさせられる投稿をTwitterで見たので、それを後から自分でも見返せるようにまとめてみました(ほんの一部ですけど)
改めて今あるモノ、人を大切にしていきたい、感謝の言葉だったりを積極的に伝えていきたいなと思いました。
会いたいと思った人に時間もお金も惜しまず会いに行こうってなりましたね。
芸術の秋なので。「ペンチメント」とは、絵画における塗り直しのことで、いったんある絵を描いて、それでいいかなと思って、しかし、やっぱり変えようと思って、その上から、新たに絵を描いてしまうことを言う。ピカソもレンブラントもフェルメールもいろいろな人がやっている。
「ペンチメント」は、もともと「後悔」という意味で、つまり、一つの絵を描いてしまって、それじゃあダメだと後悔して、その上から新しい絵を描くのである。新しく描いた絵で、前の絵は隠れてしまうから、もう見えない。描いた本人以外には、下に別の絵が隠れているということはわからない。
ところが、月日が経つにつれて、上から描いた絵が経年変化して、変色したり、うすれたりすることによって、下の絵がぼんやりと見えてきてしまうことがある。そうなると、過去のその画家の「ペンチメント」が、歳月を超えて、復讐に戻ってくるような感じになるのだ。
あれ以来「あとで」をやめた。あとで、なんて誰も保証できない未来の話。そんな言い訳をして思いをサボるのをやめた。
— 和 (@kyam1999) 2018年11月14日
死に立ち向かう人を前にして、あとで、なんて不誠実だと思った。今の瞬間が真実。今が出会いでお別れ。
だから、今を大事にして、心から「じゃあ、また明日」と言う。#ペンチメント
親が事件起し、友人に何も告げず小学校転校した。
— 井藤民人 (@PPywmQRrNXVW2i2) 2018年11月16日
高校の時 故郷の隣町B小卒で私の行くはずの中学から越境入学してきた奴がいた。
「お前の噂 聞いたことある。A小の連中お前が黙って転校した後 いい奴だったからみんなで探したらしいよ」
隠れて泣いた。35年会えないままの友。
#ペンチメント
久しぶりにあった祖母は
— Yuii (@Yuii47176600) 2018年11月17日
もう私のことを分からなかったけど
ありがとう。ありがとう。
っていうの。
そんな祖母は100歳。
なんて返せばいいか分からなくて
手を握ったまま頷くしかできなかった。#ペンチメント
子供と手を繋ぎながら歩くとき、
— しぃたけ@考えるキノコ 🌐 (@GrowingParent) 2018年11月17日
その弱々しさが愛らしい。
でもこれを、
僕の父も感じてたんだろうと、
亡き父を想う。
最期の時に父は手を求めた。
手を繋ぎ、大事な存在を
もう一度感じたかったんだろう。
だから、僕も我が子と繋ぐ手を
毎回、大切にしたいと思う。
#ペンチメント
多くの油彩画家は大なり小なりペンティメントを行いつつ絵を描く。
— Riki69 (@tikarato) 2018年11月18日
人によってはそれをほとんど無意識のうちに行いつつ、そこに思わぬ効果が出ることも知っている。
油絵をあまり描き慣れていない人たちはペンティメントを知らないうちにちょっと失敗しただけで描くことを諦めてしまう。#ペンチメント
油絵具は重ね塗りができる。画家は描きながら気にいらなければ何度か描き直す。この描き直しの試行錯誤をペンティメント(悔い)という。描き直された部分は時間の経過による顔料の透明化とともに、うっすらと現れてくる現象が起こりうる。この現象をペンティメントと言う人もいる。#ペンチメント
— Riki69 (@tikarato) 2018年11月18日
昔、近所にナミちゃんという明るい女の子が住んでいた。祖母と母は、内気な私とその子を比較して『もっと明るく挨拶しなさい』『ナミちゃんは凄いね~』と言ってきた。その時私は『じゃあナミちゃんみたいな子を産めばよかったね!』と言ってしまった。二人はとても悲しい顔をしていた。#ペンチメント
— はなびし (@jMr9Xv0OzsO5tYm) 2018年11月18日
昔おじいちゃんに聞いた。
— 折り紙クリエイターshoko (@shoko61033816) 2018年11月18日
大切って何で大きく切るって書くの?
「例え相手に切られたとしても(裏切られたとしても)守りたいって思うから。それがおばあちゃん」
私は誰かをそんな風に愛せるおじいちゃんが羨ましいっていう気持ちに気がついたのはおじいちゃんが亡くなったあとだ。#ペンチメント
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現在、私は大学生。
— カルボキシル基 (@carboxyl_mon) 2018年11月18日
高校の頃に三年間大好きだった女の子が高嶺の花すぎて、一度しか話せなかったこと。ほかの女の子なら適当に楽しくやり過ごせるのに、その子の前だと脳が彼女にハッキングされてしまうのです。小説を読むたび、素敵な景色を見るたび思い出すのはいつもあなたです。#ペンチメント
いつ容態が急変するかわからないと言われてた父。見舞いに行ったら元気だった。「寿司を取ろう!」って言われた。「もうご飯食べたよ!」って断った。まだ次がある位に思ってた‥あの時「うん!取ろう!」って言ってあげれば良かった‥‥#ペンチメント
— さかな (@3kan325) 2018年11月19日
15年前に逝った父親は自営だった。
— keithendo (@keithendo1) 2018年11月19日
「『自営はいつも自分から頑張らなきゃならないから大変ですね』という客は大概偉くて、『自営は気楽でいいですね〜』って言うのは大概ヒラだ」と言ってた。
せっかく大学まで行かせてくれたのに、気がついたら俺、後者じゃん。親父、ごめん。
#ペンチメント
父が入院して2日後にお見舞いに行ったら、父はしんどそうだった。父は肩で息をしながら、この週末実家に遊びにおいで、嫁ぎ先じゃなかなかゆっくりできないだろうから、と優しく言ってくれた。その夜、父は亡くなった。最期まで私を気遣ってくれた父の気持ちに今でも涙が出ます。
— 月たろ (@tarotama27) 2018年11月20日
#ペンチメント
8年前、恋人を亡くした。
— ラビット・エリー (@megane_elie1129) 2018年11月20日
そのあと、
たまたま同じ名前の人と結婚して、
たまたま息子に似た名前を付けた。
息子が恋人と同じあだ名で呼ばれてた。
足元から崩れそうなくらい懐かしかった。#ペンチメント
若くして自殺した大切な人。最期の日の前日に会いにきて、はしゃいで今でも忘れられない程に心から笑って、泣きそうな笑顔で「会えて良かった」と一言遺して。「…繋いでもいい?」繋いで欲しくて差し出してきた手は怯えてた。帰さないでその手ごと全てを奪って逃げてやれば良かった。
— chami ちゃみ (@chami9999) 2018年11月20日
#ペンチメント
28歳で大切な人が事故で亡くなった。24歳の時、30歳になってお互い貰い手がなかったら結婚しようって約束した。亡くなる1ヶ月前、彼からの連絡「家族から結婚しろって言われる。お前なんてどうだ?って」恥ずかしくて「冗談でしょ〜」って返した。嬉しいって素直に言えば良かった。#ペンチメント
— Rico (@Rico55742645) 2018年11月20日
瓜二つの弟は何でもオレの真似ばかりしていた。オレが通ってた床屋に行って、名前も言わずに「お兄ちゃんと同じ髪型にしてください(^-^)」ってお願いしたらしい。
— s_sasamura🍺 (@Yuzu_DAD) 2018年11月20日
恥ずかしくて仕方なかったけど、好かれてたんだなって思えるようになった。武、お兄ちゃんの娘が武と同い年になったぞ。 #ペンチメント
1枚の写メを見せられた。「娘やねん。売れかけてんねん。応援してやって。」それが彼との最後の会話となった。2ヶ月後彼は癌で世を去った。
— 佐野良彦 (@jrc0024) 2018年11月21日
昨日、彼女の舞台を観にいった。
三戸よ!娘は立派に演じていたぞ#ペンチメント#鉄コン筋クリート#三戸なつめ
近所に住んでいたおばさんの事を思い出す。綺麗なマニュキアをしてタバコをふかしていた。幼い頃から家に招いては色んな話をしてくれたり遊びにも連れて行ってくれた。私が中学に進学した11月の寒い夜、家に火をつけて焼身自殺をしてこの世を去った。火をつける前ウチの前に立っていた。#ペンチメント
— nipponsoop (@nipponsoop) 2018年11月21日
高校生の頃父が会社の慰安旅行から帰ってきてすぐ「胃が痛い」と言って自分の車で病院へ行った。一日検査入院した翌日急死。私が最後に父にかけた言葉は病院へ行く前に父の顔も見ず気のない「行ってらっしゃい」だった。
— めぇめぇ実況垢 (@indosiki) 2018年11月21日
後悔しかない。 #ペンチメント
3歳で別れた父。祖母からの父への愚痴を苦々しく思い、ずっと父なき者として生きた。そして父は私17歳のとき病死。数年後、ふいにネットで知った当時記者だった叔父が書いた、父への追悼文。そこには毎日私の名前の呼びかけではじまる、父の日記の存在があった。しばらく泣いた。#ペンチメント
— はな (@hanaike_22) 2018年11月21日
今でもずっと、もっと良い孫でいられたんじゃないか、もっと聞きたいことがあったんじゃないか、もっと祖父と一緒にいるべきだったんじゃないかと後悔が絶えない
— あした (@Ashita_Shindou) 2018年11月21日
週に二三回は夢に出てくる祖父は、いつも末期癌がわかってからの具合が悪そうな姿で、せめて夢の中では元気な姿が見たい
#ペンチメント
小学校の頃難聴の男の子がいた。言葉の音がこもっていて独特な話し方で、からかわれたりしてた。授業参観の時、音読の時間があった。その子は一生懸命読んでたのにみんなクスクス笑ってて、後ろでお母さんが泣いてた。笑うのやめようよって言えばよかったって何十年も思い続けてる。#ペンチメント
— こりっぱ (@corippachan) 2018年11月21日
私はがまだ幼い頃、祖母と一緒にお風呂に入ると、時々祖父の愚痴を言っていた。ほとんど独り言の様なその言葉たちを今も覚えてる。いつも祖父に従っていた明治の女だった祖母の、胸の奥を吐き出せるたった一つの場所だったのだろう。#ペンチメント
— しゃあこ (@YVqkSHEfBA3Bm0g) 2018年11月21日
20歳の時、やっと貯めたお金でニュージーランドへ留学。初めての海外、お金もギリギリ。心配だから向こうから電話してほしいという祖父に「お金がかかるから電話はしない」と冷たく言ってしまった。まさかたったの6週間、日本にいない間に亡くなるなんて思わなかったから。ごめんね。
— みきこ@ワーキングホリデー🇦🇺 (@smgndisk) 2018年11月21日
#ペンチメント
「#ペンチメント」で出会うストーリーに触れて気付けたことは、電話の最後に言われる「ご飯でも食べに来なよ」「たまには来て」にこめられた両親からの愛情。理由や口実がなくても会いに行けて、無条件に受け止めてくれる両親という存在の大きさ。週末は両親に会いに行こう。いつか後悔しないように。
— 浅岡怜|美姿ウォーキング (@rei_asaoka) 2018年11月21日
会社辞めて好きなこと始める時、金なら貸さないと言われた。成功して見返したくて10年実家に帰らなかった。
— YMMTセンセイ (@pada_two) 2018年11月21日
父が倒れ意を決して実家へ。それが母と話した最後になった。後を追うように旅立った父は脳の障害で会話できなかった。
伝えたいこと、話したいこと。「いつか」じゃ遅かった。#ペンチメント
#ペンチメント
— 香月 (@masaru_jazzlove) 2018年11月21日
遺伝性の病気を持って俺は産まれた。
「産んでくれって頼んでない」と言って父と母を悲しませた。
最後の最後まで、父にも母にも「ありがとう」と言えぬまま永遠の別れをしてしまった。
だから、いまウザいと思われても、色んな人に感謝の言葉を何度も言っている。
新卒で入った会社しんどくて入って3カ月で辞めたいと思った。6時間かけて唐突に家に帰った夏。私が帰ってきたと聞いて、じいちゃんは私が好きな鰻を焼いて食べさせてくれた。私は辞めずに頑張れた。秋、じいちゃんは亡くなった。人の死は初めてだった。もっとありがとうを伝えたかった。#ペンチメント
— ちぇいこ #書く人 (@cheicolis) 2018年11月22日
両親の結婚記念日の直前に留学の為飛び立った。両親にバラの花束を送っておいた。父が珍しく喜び記念日に花瓶を母と買いに行ったそうだ。健康そのものな父が突然心筋梗塞で倒れ亡くなったと聞かされたのはその3日後言葉もわからない異国。葬儀にもまにあわなかった。昨年父の歳を超えた #ペンチメント
— hirokomurray (@hirokomurray2) 2018年11月22日
私が中学3年の時に母が突然倒れて、それから意識が無いまま半年後に亡くなった。倒れる前日買い物に出掛け、イカの丸焼きを食べたいと言った母に、そんなのいつでも食べれるじゃんと言って食べさせなかったことを何年経っても後悔している。「いつでも」はこの世に存在しない。#ペンチメント
— konha⛸️✨✨✨ (@konha53) 2018年11月22日
奥様を亡くされたご主人が
— ねこぜ@ラブライター💕 (@yodonta2) 2018年11月23日
お仏壇を買いに来店された。
「俺も早く死にたい」
と目の前で泣くご主人の言葉に
僕は何もすることができなかった。
無力だった。
#ペンチメント
8月にすい臓がんがわかって余命宣告された。
— うだゆうこ (@road2thexxx) 2018年11月23日
45歳、人生万事塞翁が馬と思って生きてきた。
失敗や後悔を真に自分のものにすれば、それをキッカケにした好機が訪れる。
それを今も毎日実感している。
#ペンチメント
先月彼が天国に。突然だった。初めてキスした。初めて繋がった。初めてこの人の為なら死ねると思った。青春の全てだった。10年以上前なのに彼の笑顔がよぎる。綺麗な別れじゃなかったけどいつかあの時はって、酒飲めると思ってた。永遠はない。 #ペンチメント
— Nac (@canac1107) 2018年11月23日
真冬の夕方「祖父と孫娘が裏山で行方不明」とニュース。近所だったが救助隊が捜索開始、安心して寝た。
— ジミーちゃん (@0816Jimmy) 2018年11月23日
翌日のニュースで知った。
消防警察は夜の捜索を打ち切った。滑落した祖父の元へ必死に這い降りた孫が、早朝に祖父の携帯から「おじいちゃん死んじゃった」と電話してきた、と
#ペンチメント
祖母が認知症になってから母は私と祖母を遠ざけた。「あんな姿娘の私はともかくあんたには見せたくない
— つるり (@tsururinko33) 2018年11月23日
。良いお祖母ちゃんだった、という思い出が最後であってほしい」母の気持ちもわかるから、とその通りにしてきたが、本当は私に向き合う勇気がなかっただけなんだ。#ペンチメント
姉に「ガンで助からなかったら、ちゃんと教えてよ」と言われていた。
— だい@なまけものくん (@disk000000) 2018年11月23日
言えなかった。
姉は気が付いていたいただろう。
姉に軽く問われた時、私は目が潤んだのを自覚したから、それを見た姉の表情が変わったのを私は見ていたのだから。
この嘘は誰か為に意味などあったのだろうか。#ペンチメント
その日は15歳になる1週間前だった。がんとは聞かされていたけどその瞬間まで治ることを疑わなかった。面会謝絶の札がこわくて病室前から逃げたこともあった。もう写真以外の顔もうまく思い出せない。数えたらあれから6000日以上たった。ママ、わたしもママになれるかもしれないよ。#ペンチメント
— わがまま奧さま👼12w (@mrs_willful) 2018年11月24日
親父危篤の報で早退して、数日後に葬式を終えて出勤した職場で「お父さんどうだった?」って聞いて来た同僚。「親父は煙になりましたよ」って答えたら「私の方が涙出ちゃう」って涙ぐんでた。その子は2週間後に自殺した。着たばかりの喪服をまた着る。本当に打ちのめされた。 #ペンチメント
— ぴの (@m_tak5) 2018年11月24日
#ペンチメント
— 美和 (@ophmiwa) 2018年11月24日
自らこの世を去ったことを
数年経ってから聞かされた。
生きていると思ってた。
その闇に当時気付けなかったこと、命を捨てさせた罪を一生忘れずに生きていく。
父が癌で余命宣告を受けた。最後はモルヒネパッチで受け答えもろくにできなかった。
— いずみ@NoRoloNoLife (@izumi2366) 2018年11月24日
病院は途中下車すれば立ち寄れる場所にあった。
その日、途中下車しようと思ったが「帰宅後に車で見舞いに行くからまぁ、いいか」と思った。
そのまま途中下車すれば、死に目に間に合ったろうに。 #ペンチメント
私が中学3年の時に母が突然倒れて、それから意識が無いまま半年後に亡くなった。倒れる前日買い物に出掛け、イカの丸焼きを食べたいと言った母に、そんなのいつでも食べれるじゃんと言って食べさせなかったことを何年経っても後悔している。「いつでも」はこの世に存在しない。#ペンチメント
— ボッチ大学生Youtuberクズ人間 (@botti_kuzuhuman) 2018年11月24日
小学生の頃、友達の家で遊んでいて「父の日は何かする?」と、うっかり聞いてしまった。言ってしまった瞬間にその子の父親は少し前に亡くなった事を思い出した。でもその子は「私はお父さんいないから何もしなくていいんだーいいでしょー」と笑った。今でも思い出して胸が痛くなる。#ペンチメント
— a.k.a 藻リオ represent シッブーヤー💛 (@morioagogo) 2018年11月24日
10年前の夏、夏休みで浮かれカラオケで散々騒ぎ倒した夜、父が珍しく「ちょっと話しようや」と話しかけてきたけど、「疲れてる」とそのまま寝てしまった
— さしすせそーす。 (@mntkucsk0302) 2018年11月24日
翌日、父の会社から電話
「社長が亡くなってます。」
なぜ話ししなかったんだろう
何を話したかったんだろう
今も後悔でしかない
#ペンチメント
いろんな方の後悔が胸に刺さる
— Nina☆Niña 🐓(通知不具合中) (@Fuuka_cat) 2018年11月24日
私も父や祖母にこうすれば良かったって事あるものね
#ペンチメント
適当に就職先決めて3年も会社員勤めしてしまった#ペンチメント
— ぷりぶれや@付き合う人 (@prbryer) 2018年11月24日
末期の癌に犯されていた父。最後に仕事の人や友人を紹介したくて計画した私の誕生日パーティー。車椅子に乗ってでも行くと言ってくれてたけど、体力が落ち身動きならず意識も混濁。パーティー終わって連絡したら危篤。着物のまま病室に向かい、結局誕生日の次の日の朝に亡くなりました。#ペンチメント
— 吉澤暁子 (@lamudan) 2018年11月24日
中学3年生のとき、母がくも膜下出血で倒れた。反抗期まっさかりで母に反抗ばかりしていたが、母の脳に障害が残り、私のことを忘れてしまうくらいならたくさん話しておけばよかったと思う。#ペンチメント
— やぎ@5部アニメ化ありがとう (@sheep1600) 2018年11月24日
会えるときに会うこと、言えるときに言うことの大事さを思い知る。いつまでもそこにいることが当たり前ではないのだ。
— 🐾しま/shima🐾 (@X_Xshima0_0) 2018年11月24日
#ペンチメント
あの人には仲間を紹介してもらったり、愚痴を聞いてもらったり、相談したり、良くしてもらったのに、結局助けられへんかった
— リラ ☾ vampire (@solitude_night) 2018年11月24日
最後に私に電話して彼は死んだ
あの時、生きてればまたいいことあるって!とか、どうにかなるよ!とか元気出して!って、嘘でも言えば良かった#ペンチメント
あの時、彼に「わたしがいるやん!だから一緒にしんどくても生きようよ」って言えば良かった
— リラ ☾ vampire (@solitude_night) 2018年11月24日
あの時の自分は未熟過ぎて器が狭すぎて苦しくて、彼の重みを受け止めることが出来なかった
ごめん、ごめんね、
わたしだけ強くなって幸せになっていく…#ペンチメント
#ペンチメント
— ニャ! (@neko3nyanko3) 2018年11月24日
毎日寝起きを共にしていたのに気付けなかった長女と、福祉を仕事にしていたのに考えが及ばなかった次女。いい施設で最期は看取れたけれど、姉妹各々心のどこかで後悔している。お母さん、独り暮らしに慣れてきた長女は、未だにあなたの不在には慣れていません。
#ペンチメント
— のりこ (@kotasan0823) 2018年11月24日
12年前、弟が仕事で悩んでた頃、話を聞いてあげればよかった。相談にのってあげればよかった。三鷹警察からの電話は、一生忘れない。
小6で両親が離婚し、父についていったが、父は女の人と暮らし、祖父母宅で育ててもらった。高2の冬、祖父と喧嘩ばかりしていた私に父が2人で暮らすかと聞いた。家事等全部やらされるのが面倒と思った私はいいよと断った。次の日父は心筋梗塞でこの世を去った。#ペンチメント
— こすだ (@kosuda53) 2018年11月24日
8歳の夏、知らないおじいさんと会った。人見知りだった私は彼と話ができなかった。別れ際、彼はまた遊びにおいでと言った。
— 黒豆茶 (@bSoyTea) 2018年11月24日
3ヶ月後、彼はガンで亡くなった。そのお葬式で、彼が自分の祖父であることを知らされた。行方不明だった彼は、父にとって私の祖父ではなかったのだろう。#ペンチメント
もっと抱き締めてやればよかった。
— 大きい豆 (@daizu_0mame) 2018年11月24日
私を求めて付いてくるあの笑顔をもっと見つめておけばよかった。
一日でも多く、ちゃんと帰ってあげるべきだった。#ペンチメント
#ペンチメント 小学生のとき、その当時仲良かった同級生がよく『自殺してやるっっ!!』って冗談で言ってみんな引いてた。誰も気にも留めなかった。高校に入ったとき出来た彼女とそいつの悪口を言ってた。その1週間前に彼はいじめで自殺していた。
— 拡散希望 (@EzQ4wIIhU5F0z9k) 2018年11月24日
父は脳まで転移。告知は「1ヶ月。最後の病気になるでしょう」だった。1ヶ月が過ぎ「点滴を外して欲しい」と父からお願いされるようになった。母には言わないようだった。私は主治医と相談。翌日、点滴が外された。今でも思う。私の判断は良かったんだろうか。#ペンチメント
— ar (@FaS16094517) 2018年11月24日
酔っ払うと少し離れたスナックに行きたがった親友。
— キノコ社長 (@Kinoko_Shacho) 2018年11月24日
「次の日早いから」と五回に一回くらいしか一緒に行かなかった。
こんなに早くいなくなるなら、もっと一緒に行けば良かったよ。
ママも俺もそのうち行くから、黒霧島飲みながら待っててね。#ペンチメント
では、また!